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猫背を直したい

恥ずかしい

キッチンクレソン【南武線南多摩駅】

私は小汚ない定食屋が好きだ。

昭和の時代からやっていて、昼から酒も呑めて、煙草も吸える、そんな年季の入った店が好きだ。 

外で昼御飯を食べるときは、決まって「駅名+定食」で検索し、店内のレビューを見て一番老舗っぽい店を選びそこへ向かう。

 

先日も南多摩駅で昼過ぎに用事があり、一度も降り立ったことがない駅だったのでいそいそと昼食処を検索した。

何件かヒットしたので、レビューを見つつ隣同士の立地の洋食屋と中華料理屋の二つに絞る。どちらの店も昔からあるお店のようで、昼御飯前の空っぽの胃袋でどちらかをチョイスするのは大変難しい。

お店の前まで行き、フィーリングで選ぶことにした。

 

駅から歩くこと約5分、川崎街道に面するその三角形の区画には、和風居抜きのインド料理屋と中華料理屋と洋食屋が固まっていた。グローバルである。

中華料理屋と洋食屋の前を反復横とびしながら店構えを舐めるように観察する。どちらからもおいそうなオーラが垂れ流されている。悩ましい。悩ましすぎる。

私は悩んだ末、外からでは店の中の様子が全く予測不可能であり、その扉にかかった小さめのホワイトボードに震えた老人の文字で「日替わりランチ500円 ごはん・味噌汁・お新香付」と記してあった洋食屋をチョイスした。

 

 

仲が好い同行者と怪しげな店に入るとき、私は大抵特攻隊長を押し付けられる。入店する直前まで店長や雰囲気をそこまで気にしないので、レビューではほぼそれらを確認せず流し読みする。いざ入店するぞと扉に手をかけようとする段になって初めて緊張の波がどっとおしよせ冷や汗がビュッ!と噴出するのだが後戻りはできない。そんな体験を何回もしてもなお店長や雰囲気をあまりリサーチしないので、深層心理では癖になってしまっているのかもしれない。

 

ドアを開けると薄暗い。よく晴れた日に訪れたので、目が慣れるのに一瞬時間がかかった。すえた臭いが鼻につく。母校の近所にあった今は無きラーメン屋の端に座っていた、大将の家族の老婆を思い出した。

 

店内は想像より狭く、10席ちょっとしか無かった。

店の左半分は壁際にまるでスナックのようにこぢんまりとしたソファーとテーブルが配置してあり、もう右半分はL字のカウンター席に、バーによくある背もたれがとても低い丸椅子が並んでいた。ソファーにもカウンターにも、少し黒ずみかけた、毛玉だらけの花柄のキルト生地でできた、椅子にぴったりのカバーがかけてあった。

ドアのガラスのほとんどの部分には装飾用の黄色いフィルムが貼ってあり、外からの光はデザインでフィルムを貼らずに開けてある二本のライン分からしか入らない。橙色がかったいくつかの控えめな電灯が、その店内を照らす大きな役割を担っていた。

 

その薄暗い店内は、まるで色褪せた昔のフィルム映画の中に入り込んでしまったかのような錯覚を私に抱かせた。

 

 

私はお一人様で入店したのですぐにカウンター席に座る。

カウンターの中には汚れ一つ無い真っ白なシェフ帽とコック服を纏った少し腰が曲がった主人がおり、私が着席すると無言ながらもすぐに水とお手拭きを出してくれた。

私は店内のホワイトボードに「ハンバーグステーキ」と震えた字で書いてあるのを確認した。おそらくそれが日替わりメニューだと考察しつつ「日替わりランチでお願いします」とシェフに告げ、店内を見回した。

先客は作業着を着た男性とスーツを着たリーマンだけで、店のBGMはお昼のNHKニュースだ。

カウンターには震えた字で書かれた手書きメニューと三角に折られた紙ナプキン、レトロな灰皿とこれまたレトロな箸袋に入った割り箸が並んでいた。箸袋には植物を模したマークがライン上に並んだイラストの上に「食後にコーヒーはいかが」という謳い文句がレトロな文字で書かれており、初めて見る袋だったので持って帰ろうか少し悩んだ。

メニューはステーキやカニクリームコロッケといった洋食の王道メニューで、全てにスープとライスがついているがほぼ全てが1,000円未満だった。安い、安すぎる。この老人シェフは普段年金で暮らしており、儲け度外視の趣味でクレソンを営んでいるのではなかろうか、なんて心配になってしまった。

 

ペチペチとハンバーグを叩く音が聞こえ、ジュッという音共に肉が焼ける良い香りがしてきた。

いつの間にか「すえた臭い」は気にならなくなっていた。

 

 

先客二名に日替わりランチらしきものが出されてしばらくした後、私の前にもほぼ無言でご飯と味噌汁、おつけもの、メインのプレートが提供された。

味噌汁はお揚げとワカメのシンプルなもの。だしの素がきいていた。美味しい。

おつけものは大根とキュウリの浅漬けで、キュウリはこれでもかというほど浅く漬かっており、ほぼ生のキュウリそのものだ。でも薄味で美味しい。

メインのプレートはスライスされたキュウリが三枚扇状に乗せられたキャベツサラダと、手作り感溢れる薄めのハンバーグにデミグラスソースがたっぷりとかかっていた。ハンバーグは大変ジューシーで、デミグラスソースをつけてもそのままでも大変美味しい。柔らかすぎず硬すぎず、シェフの素晴らしいペチコネ加減がきいている。食べているうちにデミグラスソースと肉汁がサラダの方に流れていき、キャベツと絡み合う。これもまた美味しい。

わたしはボキャブラリーが貧困なので「美味しい。」としか表現することができなくて大変申し訳ないのだが、どの品も大変美味しく、店の古い映画のような雰囲気もまたその美味しさを高める要素の一つになっていた。

 

プレートに残ったソースもご飯に絡めて完食し、一息ついてから会計する。

明朗会計、500円。最初、店の外のホワイトボードを見たときは安すぎるのでてっきり税抜きかと思いきや、500円ポッキリだった。原価だけでも500円を越えそうだ。しかも、12時代で飲食店の来客はピークであるはずなのにも関わらず、客は私含めて3人。経営が心配になってしまう。先程も述べたが、シェフは年金を貰っている年だろうし、既にこのレストランは「老後の趣味」の領域なのだろうか。

どちらにしても、10年後にはきっともうなくなってしまっている食堂の一つだろう。

 

南多摩駅に用は無くともこのお店にはまた来よう、そう思えた素敵なキッチンだった。

 

 

 

キッチンクレソン
東京都稲城市大丸512-12
https://tabelog.com/tokyo/A1327/A132703/13080044/

私は風俗を利用する男を伴侶や彼氏にするのは嫌だ

私は風俗を利用する男を伴侶や彼氏にしたく ありません。

 

数年前、成人式で再開した竹馬の友が彼女がいるのにもかかわらず

「毎日ハンバーグもいいけどたまにはエビフライも食べたい」

なんて理由で風俗を利用しているのを聞き

「そんなことなら私は恋人を酸素のような存在として捉えたい」

と、思わず普段バカにしている「彼氏は酸素…いないと死んじゃう(*´▽`*)」系女子のようなアンサーをしてしまうほど風俗を利用する恋人は嫌です。

昔から漠然とそう思っていたのですが、「生理的に…」なーんてフワフワとした理由でこれまで嫌がっており、本当にそうなのか、どうして嫌なのかを考えたことはありませんでした。

 

「生理的に嫌だ」と、風俗という存在を知った時からずっと思っていたのですが、何故生理的に嫌なのかと考えると、その生理的に嫌な部分が「風俗」自体に見当たりませんでした。

今日は食っちゃねする以外なにもすることがなく、ひたすら悶々と考えたので、風俗利用男性を嫌だと捉えている理由を自分の考えを整理する意味も兼ねて書き連ねていこうと思います。

 

1、病気の感染リスクが嫌?

一般的に、風俗は性病感染のリスクが高いと言われている。しかし果たして本当にそうなのだろうか。

ちゃんとした店に勤めてい風俗嬢は定期的に性病検査を受けるという。確かに大学のころのクラスメートが愛用していた3000円を出すと腕にブツブツがあるおばさんがサービスしてくれるような風俗ではそんな検査している可能性はゼロだが、大抵の店ではきっちり検査しているのではないだろうか(想像)

また、この理由で嫌というなら、ちんちんが乾く間もなく一般人女とセックスしまくっている人間もハイリスクなので嫌だ、ということになる。私のようなキモオタクをそんなちんちんが乾く間もない人が見染めてくださる可能性はゼロだが、もし見染めてくださるのならば嫌な気分一つなく付き合える。

ということで感染リスクが嫌なわけではないようだ。

 

 

2、会社付き合いでも流されてそういう店に入っちゃう主体性の無さが嫌?

男の社会では、会社づきあいで風俗に行くことがあるらしい。話を聞くに、断れないらしい。断れても後々の関係が悪化するらしい。

あっっっっっそ!!!!!!!!!!!

って感じだ。男ならうまく断れ。行きたくないなら逃げろ。なんだかんだ理由をつけて好きな女子に告白しない道程みたいで嫌だ。(女子校だったのでそういう道程にであったことはないです。)

自分は行きたくなかったとか言ってなんだかんだ言って女体に興味があるだけなのだろう。人のせいにして大変むかつく。風俗に行くなら潔く自分の意志で入店しろ。

 

 

3、世間一般の女が男の風俗の利用を快く思っていないことを知ってか知らないでかで 利用するのが嫌?

風俗の利用を快く思う女は密林の奥に住む天然記念物張りに少ない。にちゃんねるでしか出会ったことがないのでもしかすると存在しない生き物なのかもしれない。

当然そのことは男らも知っているはずである。これを知らない、わからないのは道程ぐらいである。二次元の女子はハーレムを受け入れても三次元の女子はハーレムを受け入れないのである。

つまり、それを知って風俗を利用する男もクソだし、知らずに利用する男もクソなのである。

 

 

4、金で女を買わないと女とセックスすらできないという男ランクの低さが嫌?

男がセックスするのは難しいらしい。キモオタクのような風貌の私がもし男だったら、金で女を買わなければ女とセックスできずに孤独に人生を終えると思う。(デブなので、デブ専のホモとならセックスできると思う。)

もし私が女だったら、気持ち悪いので金で女を買う自分♂とは絶対に付き合いたくない。

 

 

 

これらを総合的に考えて、めぞん一 刻の五代さんはとても素敵な男性だと思っていたのにトルコに行ったから嫌だ。 水商売だけど会社の付き合いでのキャバクラはギリギリ許す。ただし、北海道のキャバクラはダメだ。

風俗を利用したことがある男は、少しでも気がある女がいるならば、性病検査に行ってクリーン さを確認した後に墓場までその事実を持っていくか、出会って一番最初の時期に風俗経験をカミングアウトしろ。

 

というわけで、性病検査、おススメです。

www.hivkensa.com

神戸の直方体看板【神戸市】

先日神戸市を町歩きしたとき、他の都市ではあまり見かけない形、「直方体」の看板をそれなりの頻度で見かけた。

こういう形のやつである。


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NHKで放映されている、ファミリア(※注)の創業者の女性を題材にした朝ドラ「べっぴんさん」でも、主人公が現在拠点にしているお店の前の通りの右端に何気なく設置されており、よく映像に写り込んでいる。
「天山商会」と書いてあるようだ。
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注※神戸発祥の良質な子供服のブランド。皇室の方が着用していたり、出産祝いに送られたりしている。先日建築オタク界では知らない人はいない美しいレトロ建築のファミリアホールが取り壊され、建築オタク界に衝撃が走った。



私は昭和の日本を知らないので、もしかすると一昔前までは全国のそこら中にあったものなのかもしれないが、趣味で平成の日本中を旅してきた中で、似たような直方体看板がこんなにも設置され残っているまちは神戸以外に無かったように感じる。
神戸市にこういう看板を量産する看板屋さんがあったのか、全国に直方体看板は普及していたが神戸市にだけたまたま残存しているのか、私が気がついていないだけで他のまちにも同じような看板はちょいちょい残っているのか…。


先日また神戸を訪れる機会があったので、その時に撮り集めた直方体看板をとりあえずひたすら貼っていこうと思う。





・1本目
「東川崎住宅」
「東川崎地域福祉センター」
各2面
スタンダードな一本。
手書き文字ではないので比較的新しい作品?

・2本目
「暴力・麻薬 追放相川モデル地区(推進委員会)」
「暴力・麻薬 は町ぐるみで追放しよう」
「暴力・麻薬 は見ても聞いても110番」
「シンナー、ボンド遊びはやめましょう」
4面が異なる。
手書き文字が良い味を出しているが、ボンド遊びをするような子が現代にまだ残っているのかは疑問である。
下のコンクリートが丸いのが特徴的。
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・3本目
各2面タイプ。
ベコベコの看板が多い中、比較的綺麗に残っている一本。
王子公園駅から少し東の阪急沿線にて撮影。
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・4本目
かなり新しい。
他の看板と比べて少しずんぐりむっくりしている。
1本目の東川崎住宅の看板と同じフォント?
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・5本目
1本しか見かけなかったかなり珍しい三角柱タイプの看板。
しかも真っ赤。しかも土台のコンクリが丸。
走水(はしうど)なんて初見で読めないなと思いながら撮影。
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・6本目
・7本目
三ノ宮駅北側の繁華街で二本並んで立っているところを発見。
やはり繁華街では酔っぱらいに絡まれるのか、かなりベコベコしている。
当たり馬券を換金してくれる質なんてまだここらに存在しているのだろうか。
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・8本目
おそらく、ベコベコになりすぎたので自分で新たなプラ板を張り付けたであろう1本。
心なしかノッポ。
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この看板で宣伝している「レオピンロイヤル」を楽天で調べてみたら、普通の栄養剤と比べるとめちゃくちゃ高価だった。
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・9本目
阪急三宮駅~春日野道駅の下の有名な高架下で見つけた1本。
文字が焼けて読めなくなっている上に薄汚れている。
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・10本目
これも春日野道駅までの高架下で見つけた。
結構メコメコ。
ダイビングスクールはこの日休業日なのか閉店してしまったのか、シャッターが降りていた。
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・11本目
春日野道駅付近の大安亭市場付近にあったこれまたメコメコの看板。
大安亭市場には道路を挟んで上中下と三区画に別れていたが、栄えているのは下だけだった。
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・12本目
二宮神社の入口で発見。
神戸には一宮から八か九宮ぐらいまであるようだ。そのうちの二番目。
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ちなみにこの二宮神社、嵐というジャニーズのグループに「二宮」という名前のメンバーがいるようで、嵐のコンサートの当選や本人との邂逅を願う絵馬が大量にかかっていた。
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・13本目
二宮市場入口横の玉子屋さんの柱に紐で固定された看板。
面で文字の色を変えているのが可愛らしい。
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昭和ノスタルジー溢れるものの消滅しかけの二宮市場については、また別の機会で紹介できたら、と思う。
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大抵の直方体看板はベコベコでコンクリも劣化し、古ぼけている。どのくらい古いのかは分からないが、もしも20年以上前の阪神淡路大震災を乗り越えてきたものだとたら、とてもロマンがある。

以前は設置されていた場所なのに現在は撤去されていた、というケースもあり、真新しい直方体看板は少ないので、これからはどんどん減っていってしまう存在なのだろうか。
今後も新たな直方体看板を見かける度に撮り納めていきたいと思う。

電車に落書きしまくる鉄オタクと公共の場で模型を解放する鉄オタクの差異について

※この記事では気動車や新幹線や貨物列車や路面電車等々、鉄道や軌道的な何かを走るあらゆるそういうものを「電車」と呼称しますので、よろしくお願い致します。





ツイッターで鉄オタクをフォローしていると、それらの鉄オタクによって
①大衆に叩かれるべきと考えるキモ鉄オタクの行為を晒しあげるツイート
②大衆に良い意味でのキチガイさを称賛されるべきと考えるキモ鉄オタクの行為を拡散するツイート
が、時折流れてくる。


簡単に、二つの事例を列挙してみる。

【①の例】
・電車に落書きができる幼児や地元民向けのイベントで、内輪ネタやキモオタクネタを書き込むキモ鉄オタク
・さよならする電車や臨時的な電車の窓から体を乗り出したり、罵詈雑言を書いたプレートを飛び出させたりして、撮り鉄オタクを煽るキモ鉄オタク
・さよならする電車や臨時的な電車の窓に、外に見えるよう二次元萌え美少女のポスターやタオルを貼り付けるキモ鉄オタク
・撮影地(電車を素晴らしい構図で撮影することができる場所。人気の撮影地では珍しい電車が走る日にはそれはもう沢山の三脚や脚立が立ち並び、場所の取り合いになるらしい)での場所取りで、「この場所は場所取り済み。この紙を剥がしたらどうなっても知らないぞ」という旨の文章を書いたA4の紙を数日前から地面にガムテープで貼り付けるキモ鉄オタク。キモ鉄オタク本人はどこにも姿が見えない。

【②の例】
・電車の中で、イベントや模型屋で購入した模型を取りだし、テーブルや窓枠に乗せてガタンゴトンと遊ぶキモ鉄オタク
・一般人(キモオタク用語で、オタクでない人の意)も行き来する公共に設置された机の上で、鉄道模型の箱を1メートルほど積み上げたり、公共の場にて鉄オタクネタで大声で盛り上がりまくりウェイウェイ騒いだりするキモ鉄オタク
撮り鉄(電車を撮ること)するために、ポジショニングする場所や写真に写り込んでしまう邪魔な草を鎌で刈り取るキモ鉄オタク
・二次元萌え美少女のTシャツを公共の場で着用するキモ鉄オタク



今回は普段私がフォローしている鉄オタク達の反応に倣ってとりあえず仕分けしてみた。

①と②で幾つかの行為を示してみたが、その鉄オタクが所属する各仲良しグループ毎に何をディスって何を称賛するのかは少しずつ違っているようだ。
個人個人を見ていると、ディスりたいけど仲良しグループの一人が称賛しているので声を大にしてディスれない、なんていう女子高生みたいな事例も時折見かける。

しかし、キモい風体をしているものの鉄オタクではない私は思う。どちらも気持ち悪い。
確かに①の方が世間様により迷惑かけてるんかな~う~ん、なんて少し悩む余地が無くもないかもしれないが、目くそ鼻くそである。②が目くそで①が鼻くそかな、という感じである。
目くそは乾燥すればなんとかなりそうな気がするが、鼻くそは乾燥してもきつい。つらい。




鉄オタクはよく、鉄オタク、特に撮影時にマナーが悪い撮り鉄オタクへの苦言を定期的に呟き、仲良しグループで会議体のようなものを構築する独特の文化がある。他のオタクジャンルでも似たような事が時々起こるが、鉄道ジャンルほど高頻度に苦言を呈しているジャンルは無いのではないかと思っている。
苦言を呈する相手は違うコミュニティに属しているため、中々結論は届かないと思うのだが、結構な頻度で同じような苦言を呈している。
マナーが悪い鉄オタクになぜ直接苦言を呈さないのかというと、そういう最悪な鉄オタクには日本語が通じないからだと私は推測している。また、そういう最悪な鉄オタクは沢山の仲間を抱えているため、下手につつくとスパム報告されまくって自分のアカウントが凍結してしまう可能性もあるのだ。









唐突だが、私は気持ち悪い。
見た目も気持ち悪いが、挙動も気持ち悪い。喋ろうとすると吃り、自意識過剰に口を隠して喋り、人間と中々目を合わせられない。
かつての私は二次元萌え美少女キモオタクで、そういうグッヅを買い集め、ヤフーオークションに張り付き、画集を購入し、下手な絵を量産し、萌えソングを聞きまくっていた。
最近は、録画したアニメをただ視聴するだけの、グッヅも買わず経済すら回さないただただ気持ち悪いだけの人に成り果てているものの、とりあえずオタク活動をやめてみても身に付いた気持ち悪さは取れない。

鉄オタクはどうだ。例外も少なからずいるが、ほぼ全員気持ち悪い。
特に私は、気持ち悪い自分と普段から濃密に接しているせいで、人の些細なオタク的な気持ち悪い部分にも敏感に反応してしまう。
オタクはどうしても気持ち悪さが滲み出てしまう生き物なのだ。



気持ち悪い者は、気持ち悪いなら気持ち悪いなりに謙虚に行動すべきだ。
「一般人」がいる解放空間でウェイウェイ騒ぐべきではない。ホームで座り込むべきではない。電車の中でミニチュアの電車をガタンゴトーンするべきではないのだ。

一昔前のオタクは虐げられ、暗がりで生きていたらしい。
現代ではオタク文化も「サブカルチャー」として、以前と比べかなり受け入れられてきている。
だからと言って、気持ち悪い者が清らかな光の世界で大手を振って歩いて良いわけではない。オタク・サンクチュアリから出た場所では、ウェイウェイしてはいけないのだ。







先日も、野生の鉄オタクが電車のホームの端に張り付いていた。

実は自分自身以外の気持ち悪い存在がとびきり大好きだという歪んだ嗜好を持ち合わせている私は、ワクワクドキドキしながら鉄オタクを眺めた。
以前と比べ、身なりに気を付けているのか、お母さんのファッションレベルがアップしているのか、ほんの少しだけ小綺麗になった鉄オタクが増えているように感じる。

これからも末永くとびきり気持ち悪い存在であり続け、私にその姿を見せて欲しいものだ、なんて矛盾した気持ちをもう片方の腕に抱え、気持ち悪い私は電車に乗り込んだ。

ペットの小動物をどう葬るかについて考える

ペットが死んで、さてその亡骸をどうするかと考えた時、おそらく日本人の大半がまず最初に思い付くのは土葬だと思う。


しかし、現代人、特に都会人の大半は庭がないマンションか、若しくは庭があってもコンクリ打ちで土が無い家に住んでおり、仮にペットが死んだとしても漫画でよく見かけるように土葬にしてやって「○○のはか」なんて書いた木札を刺して弔う、というのは中々難しい。喩え埋められるような環境だったとしても、そこが人口増加中の住宅地だったとしたら、せっかく埋めてやってもウン十年後に掘り返されて、上にでっかいマンションが建ってしまうかもしれない。或いは、もしもそこから私たち家族が引っ越してしまった後に、また別の家族がそこに越してきたとしたら、気軽に他人のご家庭のお庭に入って弔ったりすることなんてできないし、埋めた跡地がガーデニングか何かで掘り返されてペットの骨が赤の他人に発掘されてしまったとしたら…、なーんて考えると二の足を踏んでしまう。
それならば、と公園や山に埋めてしまうのは、そこが国有地であったとしても、「他人の土地にゴミを遺棄した」ということで法律的にはよろしくないようだ。
そもそも土葬は深く埋めてやらないとその辺の野性動物や野良猫に掘り返されてウンコになる。なんたら山脈辺りの鳥葬ならばまだロマンはあるが、その辺の野良猫のクソになってその辺の公園の砂場にひりだされ迷惑がられながらその辺のババアにゴミとして処分されてしまう野良猫葬は想像するだけで悲しくなってしまう。













○年間飼っていたペットの小動物が先日死んだ。
人間に換算すると100歳前後のようで、子こそいないもののその動物界では大往生だった。

私は人でも動物でも、「葬式」を残された人間の自己満足のようなものだと捉えている。
ペットが段々弱って死がチラホラと見え始めた時、もう体力的に遊べなくなってしまったペットの玩具を洗って終活しながら、死んだあとにどう弔うのが家族にとっても自分にとってもロスのショックが一番軽くなるかを考えた。

そこで冒頭に戻るわけなのである。
遠い昔小学生の頃、田んぼの横のドブで捕まえたフナが死んでしまった時は公園の草むらに埋めたのもあって、私は真っ先に土葬を考えた。
しかし上記のように色々と思考を巡らせた結果、少なくとも私が死ぬまで私のものでありつづけそうな土地を持っていなかったのでやめた。こっそり公園や山に埋めにいくのも、法律とかではなく、ペットが一回も行ったことのない土地に亡骸を埋めたとしたらペットの魂的な何かが迷ってしまいそうな気がしてやめた。完全にスピリチュアルの世界である (普段バカにしています。すみません) 。
某掲示板やヤフーアホ袋を覗いてみると、「小動物ならばプランターや植木鉢に埋めてそこに花を植える」という手法も挙げられていたが、そんなに微生物がいなさそうな植木鉢の中で亡骸が分解されるかは甚だ疑問である。しかも、植木鉢は土を定期的に入れ換えないと痩せてしまうのに、入れ換える時に土を掘り起こした時、まだ分解されていないミイラのようなペットが出てきた日にはトラウマものである。実際、「掘り起こしてみたらミイラになったペットが出てきた」なんて体験談も散見された。地獄である。



土葬がダメなら次に日本人が思い付くのは火葬だ。その他にも、川や海に流したり池や湖に沈めたりするとか、恭しく包んで生ゴミとか、剥製にするとか、食べるとか、瞬間的に却下される手法を色々と思い付いたが、結局火葬にいきついた。

さて、そうと決まればお次の悩みは火葬した後のお骨はどうするか、ということである。
・自分と同じ墓に入れる
多分寺と家族が断るし無理。そこまでしなくても…と、悲しみでスピリチュアルに溢れていた私でも思う。
・海か何かに散骨
水辺に生息する動物じゃないし海と縁もゆかりも無い動物なので意味不明。きれいな海が近くにない。廃棄物不法投棄。
石英と混ぜてペンダントにするサービスを利用
流石にメンヘラっぽい。
・ペット霊園供養塔に納骨(有料の場合がほとんど)
ドケチな私のスピリチュアルな心は納骨料金平均約一万円と年間の共益費数千円に躊躇した。土に還らないし人類が滅亡したら骨壺の中で永遠にそのまま維持されそう。
◎ペット霊園の合同墓地に埋葬(骨を土葬、無料の場合がほとんど)
他の案を散々否定した結果、これに決めた。田舎のマンションが建ちそうに無いところならば、少なくとも近い将来悲しい気持ちにならないし、土に還ってくれれば喩え人類が滅亡しても自然のサイクルに組み込まれてくれるだろう。
そのまま土葬するより焼いてから土葬した方が早めに土に還るだろうし、魂的な何かが虹の橋に昇華されいつしか私が死んで焼かれた時にまた再開し一緒に遊べるはずだ…(スピリチュアル)


さて、火葬と一口に言っても、動物のサイズによって料金が違う。更に、他のペットと合同で燃やすか、一匹だけ個別で燃やすかによっても料金が違うようだ。
骨を返すか返さないかで料金が違ってくるところもあるようで、大体同じサイズで火葬後の流れもほぼ同じ人間の火葬ではあまり感じることがない、手間はタダではないというビジネスの原則をペット火葬業界でリアルに感じることができた。
少々お高くなるが、大きな犬猫と一緒に燃やされてしまったらケシズミになりそうなサイズの小動物のペットであったため、個別の火葬を選ぶと決めた。


ペットの火葬業は、寺がやっているものから民間がやっているものまで調べるとわんさか出てくる。
ご丁寧にクチコミサイトまであるので、近くてクチコミも感謝の言葉が並んでいてまぁまぁその業を長く続けていて仮に倒産か何かで潰れてしまってもそこにはマンション的なものは建たなそうな場所を探した。それに当てはまりそうな候補をいくつか調べておき、火葬炉が順番待ちで何日か待たされそうになった時、別のところに乗り換えられるようにしておいた。








それから程なくして、ある日の早朝にペットは死んだ。
それまでの何日間かはとても弱々しく、一日の大半は眠り、たまにエサをポツリポツリと食べたり目を細めてじっとしたりしていたのに、死んだ日の前日には、どんなに体調が悪くてもさわらせてくれなかった頭をカキカキさせてくれて、その夜は以前の元気だった頃のように目をパッチリと開け、エサをガツガツと食べ、水をガブガブと飲み、カゴの中を活発に歩き回り、果てにはカゴをこじ開けて出たがり、カゴの入り口を開けてやるとどこにそんな体力があったのかすごい勢いでカゴから飛び出して飼い主の手に乗りたがった。
何時間かその調子で、22時を過ぎた頃にようやく、今治タオルとカイロで作った小さなベッドへ、まるで遊び疲れて電池が切れた子供のようにフラフラと倒れこみ、やっと寝た。
先程の元気さは最期の力を振り絞ったものなのだろうと察しつつ、翌日またもう一度元気な姿を見せてくれることを祈って私も床につく。夜中に一度目が覚めてしまったのでカゴを覗いてみたが、まだ同じ体勢で呼吸していたのでとりあえず安心して二度寝した。

翌日はロングスリーパーの私にしては早起きして、カゴを覗く。息はしているが、ぐったりとしており、昨日と比べて呼吸音がおかしい。
何度か名前を呼び掛けると、目を見開いてこちらを捉え、私の方に近寄ろうとしてくれた。しかし、身体も足ももう満足に動かすことができないようで、首だけを普段ではあり得ない方向に反り返らせ、痙攣しているかのような動きをする。
あ、これはもう死ぬな、と私は理解したので、カゴから連れ出し手で包んでやる。
落ち着いたのか目を閉じ、変な呼吸音のまま暫くぐったりしていたが、今度は呼んでいないのにまた無理矢理起き上がろうとする。もう足は固まり、腕も伸ばせないのに、視線だけはひたすら私を捉えてくれる。
そんなペットを前にして、私は何度も狂ったように名前を呼びかけて応援してみたが、私がふと気を抜いた瞬間にグーッと伸びをしてそのまま呼吸が止まった。

ペットごときで仕事を休むことが中々許されない日本の社会人の私が看取ることができたのは、とても幸福なことなのかもしれない。






翌日は休めない。
泣き濡れながら、 用意していた赤福の小ぶりな菓子箱にさらしを敷いて、小さなペットの亡骸を寝かせた。毛で身体が隠れてはいるものの、とてもガリガリになっていた。小さな紙の棺桶に、庭で摘んだ花と大好きだったエサも一緒にいれてやった。
頭の中がぐちゃぐちゃのまま涙を堪え、第一候補のペット葬儀社に連絡する。
そこの業者のクチコミには全ての人が「優しかった」と書き込んでいた通り、キチガイみたいに支離滅裂な私にも、とてもとても優しく接してくれた。ペットのことを「○○ちゃん」とか「お子さま」とか呼称してくれた時は、ちょっと笑いそうになった。

火葬にかかる時間は1時間ぐらいとのことで、休日であるその日はもう昼前か夕方の1時間しか予約があいていなかった。
犬猫をメインにやっているところで、平均1匹3万円ぐらい、休日は10匹燃やすとなると、土日で60万円か~、なんてゲスい計算を一瞬で済ませる。

そんなこんなで火葬の予約を取り付け、お通夜ならぬお通朝の時間を過ごした。




予約したペット霊園にたどり着くと、業者の方が優しく出迎えてくれた。
最期のお別れをするプレハブ小屋に作ったDIY感溢れる祭壇を見たときはフフッと思わず笑みが零れてしまったが、安物感ではなく温かみを感じたので良しとした。

小動物は燃やすと骨がちりぢりになるそうで、全てのお骨を集められるよう、仏教っぽい布がかけられたステンレスの皿に亡骸を乗せるように指示される。
線香をあげてやり、最期のお別れタイムだ。線香なんてペットにとっては意味不明だろうなあ~なんて思いながら手を合わせた。

火葬炉は備え付けの物ではなく、火葬車だった。
外見はエロ漫画のレイプに用いられるタイプの車種だが、天井からニョッキリと低い煙突のようなものが飛び出していた。
火葬用の網の上にステンレス皿にかけられているのと同じ仏教っぽい布が敷かれ、その上にステンレスの皿が配置される。更に、その回りに花やエサを並べるよう指示される。花等を皿の中に置いてしまうと、小動物の骨なのか花の燃えカスなのか分からなくなってしまうらしい。長年の火葬で得たノウハウなのだろう。
網は丁寧に炉の中に収納され、炉が稼働する。20分で焼き上がるらしい。人間と比べて早い。

待ち時間は、これまた別の待ち合い室用プレハブ小屋に誘われる。
子犬カタログとか子猫カタログとか置いてあったけど、犬猫の飼い主はそんなものを見る心境になれなさそうだ。

そんなこんなであっという間に20分が経過し、先程最期のお別れをした祭壇の前に移動してしばし待っていると、お骨が恭しく運ばれてきた。
ツメとか頭蓋骨とか、人間のお骨と比べて、意外と形が残っていた。早速、用意されたペット用の小さな骨壺へお骨を拾う。しかしやはり焼かれた小動物の骨は小さくもろすぎて、二人協力してお骨を拾うことはできなかったので、魚の小骨をつまむようにひょいひょいと一人で骨壺に骨を収納していった。
霊園の方は、これは背骨です、とか、これは太ももの骨です、とか、人間のお骨拾いの時のように簡単にどこの骨なのかを説明してくれて、ここでもなんだかハートフルな気持ちになってしまった。






火葬が終わって、家に私一人と遺骨一匹が帰ってきた。ここで人間なら「おじいちゃん、こんなに小さくなって…」という台詞が零れ落ちるところであるが、一番小さな直径3寸の骨壺よりも更に小さなペットだったので、「○○、こんなに大きくなって…」という台詞が思わず心に浮かんでしまった。

とりあえず仏壇には米と水と花だろう、ということで骨壺を棚に鎮座させ、主食と水とペットが口にしていた野菜を備えてみる。
そうなるとやっぱり日本人の本能的に、仏壇には線香が欲しくなる。なにも考えられないが、とりあえず近隣店舗の中で香立てが確実に売ってそうな百均にフラフラと向かい購入した。

帰宅して、ここのところ人間の方の仏壇に線香をあげていない先祖不幸者であったことを思い出す。畜生にあげてご先祖様にあげないとは何事か、と昔の人々には怒られてしまいそうなので、久々に線香を焚いてみた。

それから、先程購入した本来ならばアロマ用の香立てをペットのお骨の前に設置して、線香なんて、ペットには絶対理解できない行為だろう、などと先程と全く同じようなことを考えながら、私は半分私のために線香をあげてやった。

エイズ検査に行った~採血編~ 【川崎市】

昔から、「無料」という言葉に弱い。
服屋さんに置いてあるご自由にお取りくださいのハンガーを大量に持ち帰ろうとして母に「そんなにいらへんわ!置いとき!」と怒られた過去を持つ私はこの度、無料のHIV検査(と梅毒検査とB型肝炎検査)(一年ぶり、二回目)を川崎市で受けてきた。

川崎で検査を受けてきた主な理由は以下の六点だ。
・無料
・匿名
HIVと梅毒とB型肝炎の三種類受けられる
・予約がいらない
・日曜日もやっている
・まぁまぁ交通の便が良い

HIVの検査所はそういった条件含めこのサイトで探せるので気になる人はどうぞ。
http://www.hivkensa.com/mb/





さて、川崎駅に降り立ち改札を出て右手の、京急がある方の出口から検査室がある建物へと向かう。
途中にある商店街の入り口で小汚いキモオタクやリュックを背負って地べたに正座するキモオタクなどなど、沢山の様々なとびきり気持ち悪いキモオタクに囲まれながらアコギを奏でつつ爽やかな歌を唄うかわいいお姉さんを横目に、大阪の汚い部分に少し似た川崎の街を10分ほど歩く。



いかがわしいエッチビデオ店に隣接したビルの4階に、川崎市HIV検査室はある。1階の案内板には「川崎市検査所」とだけ記載してあった。

検査室フロアまでエレベーターで上がり、受付でオバチャンに検査を希望する旨を述べると質問用紙が渡され、そのままオバチャンに見られつつカウンターで記入することになる。
質問の項目は以下のような感じだった気がする。詳しい内容は忘れた。
・性別
・年齢
・住んでいる地域(川崎orそれ以外)
・どうやってこの検査所を知ったか
・来所理由
・今までにHIV検査をしたことがあるか
・最近HIVが感染するような行為をしたか
→したなら90日以内or90日以上のどちらか
・今日は梅毒検査も希望するか
・今日はB型肝炎検査も希望するか

嘘を書いても、後程の医師との面談でキョドらなければバレない。
質問用紙を書き終えるとオバチャンから番号札を渡され、医師による面談の順番が来るまで、エイズ関連のビデオが流れ続ける待合室で気まずい時間を過ごす。
とりあえず暇なので、厚労省の事業で作られたというゲイの人向けのエイズ対策啓発チラシをさりげなく置いてある分全種類いただいた。ウホッ。またそのうち熟読してみよう。



面談の順番が来ると番号を呼ばれ、面談室に入る。
面談は医師と一対一で、医師が先ほど記入した質問用紙を見つつ、セックス経験等について質問される。昨年、人生で初めてのHIV検査をして陰性で、それ以降怪しげな行為は一切していないので自分はクリーンだと分かっている。分かっているはずなのに、よく分からない謎のプレッシャーで変な汗が出た。
その人にどれくらいリスクがあるのか探るための面談なのだろう。

それと、どうやってこの検査所を知ったのかについても医師から聞かれ、「どうせインターネット見て来たんでしょ」と吐き捨てるように言われた。この時一緒に検査を受けた同行者も言われたらしい。そうだ、その通りだ、悪いか。はい、川崎市民でもないのに悪いと思います。普段から川崎市で時々消費税を払っているので、許して下さいますようよろしくお願い致します。



数分程度の面談が終わって、別室に移動する。
まず厳しそうなオバチャンに結果を受け取りに来る日を聞かれる。一週間後の日曜日以降に設定できるようで、時間帯は6つぐらいに区切られていた。混雑防止のためなのだろうか。
結果を必ず取りに来るように何回か念を押され、予約を変更する時は必ず電話するようこれまた念を押された。取りに来ない人が多い上に、破棄もしばらく出来ないので手間になるのだろう。

お次は同じ室内で採血である。優しいオバチャンに5ミリリットルぐらい血を抜かれ、匿名だからか採血管と受付番号に間違いが無いか3回ぐらい確認された。


これで検査は終了である。
検査結果を受け取る時にもあのお医者さんの面接があるのかと思うと既に憂鬱な気分になってくる。


~結果受け取り編に続く~

マン拓【大阪芸術劇場】

注※エログロ



先日、うんちが漏れそうだったので大阪芸術劇場のお手洗いをちょっぴり拝借することにした。
うんちが漏れそうな時は公共の芸術的な施設かデパートのトイレを借りるに限る。ほぼ100%掃除が行き届いていて綺麗で、洋式で、個室もいくつかあるので、ゆっくりと大切で穏やかな時を安心して過ごすことができる。コンビニは個室が一つしかないので、こうもいかない。次の人が待っているかと思うと焦りで穏やかに過ごすことができない。
普段税金はキッチリ払っているしデパートでもちゃんと買い物をしているからこんな緊急事態のときにたまにはお借りしても許されるんだ…ブツブツ……というのを免罪符にしてうんちがヤバイ時に時折利用させていただく。

というわけで、この日も待ち合わせ時間ギリギリなのにも関わらずうんちがやばかったので、一番近くにあったこの施設に飛び込んだ。





トイレに駆け込みその個室が洋式であることを確認し、いそいそと入室する。
すると視界の端に何か見慣れない光景が飛び込んできた。

とりあえずいつものルーチンである「施錠」を執り行い、便座と向き合った。



するとそこには、魚拓よろしく経血による
「マン拓」
が便座の蓋の中心からちょっと左にズレたところにババーーーンと施されていたのであった。

まず最初に、明太子かチョリソーのようなものが何らかの原因で2つ向き合って落ちているのではないかとも一瞬考えた。しかしそれにしては平面的であるし、それでは明太子かチョリソーが一旦便座に落ち、誰かしらが取り除いた後なのではないかとも次の一瞬で考えたが、そもそも明太子やチョリソーが便座の蓋に落ちたとしてもそんなに赤い跡を残さない。

となるとこれは「マン拓」に他ならないのであり、常識的に考えて、赤いものは経血に他ならないのである。その「彼女」はあまりにも排泄を急ぐあまり、蓋が閉まっていることに気が付かず座ってしまった、ということは容易に想像できるのであった。「彼女」はいったいどんな人物なのだろうか。考えるだけで夢がひろがりんぐであるが、とりあえずおっちょこちょいのせっかちさんであることだけは確かである。







さて、私が「これは『マン拓』である」と確信したときに最初に抱いた感想は、「彼女」は何故マン拓を綺麗に拭き取って立ち去らなかったのだろうか、ということである。
普通、こんなにババーーーンとマン拓を残してしまったとしたら、拭き取るのが一般的なのではないだろうか?


まず思い付くのが、マン拓に気が付かなかったという可能性である。しかしそのトイレは蓋を開けるとその裏に洗浄レバーが来るタイプの洋式便所なので、蓋を閉めない限り流すことができない。つまりマン拓に気が付かずに立ち去ってしまう、ということはよっぽどの慌てん坊さんでもない限り有り得ない。
次に、潔癖性過ぎて拭き取るのも嫌だった、というパターンも有り得る。もしくは、時間が無かったり、めんどくさかったり……などなど色々な理由を考えた。




しかし、様々な可能性についてあれこれと考えていくうちに、もしも、いつかこういう状況下に自分が置かれてしまった場合、「マン拓」を拭いて見た目だけは綺麗にした方がいいのか、拭かずにおいてここに経血がついたという事実をちゃんと後の人に知らせてあげるのがいいのか、私は分からなくなってしまったのである。

というのは、「マン拓」は、それを拭いてしまえば見た目だけは綺麗になるが、便座消毒用アルコールという名の「穢れ」を取り払う清めの酒が無い場合、喩えトイレットペーパーで拭き取ったとしてもそこに穢れが残ってしまい、後々の人はそれを知らずに便座に座ったり鞄を置いたりしてしまう。大変後味が悪い。
しかし、拭かずにそのままにしてしまえば、その個室に入るあらゆる人に自分のマン拓を見られてしまうことになる。いくら後は野となれ山となれという精神を持っていたとしても、流石に掃除のオバチャンに自分のマン拓を掃除させるのは忍びない。それでもマン拓=穢れがそこにあることは皆が知ることができ、蓋を開ければ用を足すのにはなんの影響も無くなってしまうそれを避けてトイレを利用することができるのである。

私にはどちらが正しいのか分からない。
そんな私にできることは、今後も「彼女」と同じ轍を踏まないように、喩えどんなに急いでいたとしても、トイレの蓋の開閉はしっかりと確認してから便座に座ることである。







私は蓋を閉めて水を流してから、再び蓋を開け「マン拓」がババーーーンと見えないようにし、その個室を後にした。よく分からないが、それが「彼女」に対して私がしてあげられる精一杯のことだと思った。

その名に「芸術」を冠する施設の格の違いを思い知らされた一日であった。