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猫背を直したい

恥ずかしい

マン拓【大阪芸術劇場】

注※エログロ



先日、うんちが漏れそうだったので大阪芸術劇場のお手洗いをちょっぴり拝借することにした。
うんちが漏れそうな時は公共の芸術的な施設かデパートのトイレを借りるに限る。ほぼ100%掃除が行き届いていて綺麗で、洋式で、個室もいくつかあるので、ゆっくりと大切で穏やかな時を安心して過ごすことができる。コンビニは個室が一つしかないので、こうもいかない。次の人が待っているかと思うと焦りで穏やかに過ごすことができない。
普段税金はキッチリ払っているしデパートでもちゃんと買い物をしているからこんな緊急事態のときにたまにはお借りしても許されるんだ…ブツブツ……というのを免罪符にしてうんちがヤバイ時に時折利用させていただく。

というわけで、この日も待ち合わせ時間ギリギリなのにも関わらずうんちがやばかったので、一番近くにあったこの施設に飛び込んだ。





トイレに駆け込みその個室が洋式であることを確認し、いそいそと入室する。
すると視界の端に何か見慣れない光景が飛び込んできた。

とりあえずいつものルーチンである「施錠」を執り行い、便座と向き合った。



するとそこには、魚拓よろしく経血による
「マン拓」
が便座の蓋の中心からちょっと左にズレたところにババーーーンと施されていたのであった。

まず最初に、明太子かチョリソーのようなものが何らかの原因で2つ向き合って落ちているのではないかとも一瞬考えた。しかしそれにしては平面的であるし、それでは明太子かチョリソーが一旦便座に落ち、誰かしらが取り除いた後なのではないかとも次の一瞬で考えたが、そもそも明太子やチョリソーが便座の蓋に落ちたとしてもそんなに赤い跡を残さない。

となるとこれは「マン拓」に他ならないのであり、常識的に考えて、赤いものは経血に他ならないのである。その「彼女」はあまりにも排泄を急ぐあまり、蓋が閉まっていることに気が付かず座ってしまった、ということは容易に想像できるのであった。「彼女」はいったいどんな人物なのだろうか。考えるだけで夢がひろがりんぐであるが、とりあえずおっちょこちょいのせっかちさんであることだけは確かである。







さて、私が「これは『マン拓』である」と確信したときに最初に抱いた感想は、「彼女」は何故マン拓を綺麗に拭き取って立ち去らなかったのだろうか、ということである。
普通、こんなにババーーーンとマン拓を残してしまったとしたら、拭き取るのが一般的なのではないだろうか?


まず思い付くのが、マン拓に気が付かなかったという可能性である。しかしそのトイレは蓋を開けるとその裏に洗浄レバーが来るタイプの洋式便所なので、蓋を閉めない限り流すことができない。つまりマン拓に気が付かずに立ち去ってしまう、ということはよっぽどの慌てん坊さんでもない限り有り得ない。
次に、潔癖性過ぎて拭き取るのも嫌だった、というパターンも有り得る。もしくは、時間が無かったり、めんどくさかったり……などなど色々な理由を考えた。




しかし、様々な可能性についてあれこれと考えていくうちに、もしも、いつかこういう状況下に自分が置かれてしまった場合、「マン拓」を拭いて見た目だけは綺麗にした方がいいのか、拭かずにおいてここに経血がついたという事実をちゃんと後の人に知らせてあげるのがいいのか、私は分からなくなってしまったのである。

というのは、「マン拓」は、それを拭いてしまえば見た目だけは綺麗になるが、便座消毒用アルコールという名の「穢れ」を取り払う清めの酒が無い場合、喩えトイレットペーパーで拭き取ったとしてもそこに穢れが残ってしまい、後々の人はそれを知らずに便座に座ったり鞄を置いたりしてしまう。大変後味が悪い。
しかし、拭かずにそのままにしてしまえば、その個室に入るあらゆる人に自分のマン拓を見られてしまうことになる。いくら後は野となれ山となれという精神を持っていたとしても、流石に掃除のオバチャンに自分のマン拓を掃除させるのは忍びない。それでもマン拓=穢れがそこにあることは皆が知ることができ、蓋を開ければ用を足すのにはなんの影響も無くなってしまうそれを避けてトイレを利用することができるのである。

私にはどちらが正しいのか分からない。
そんな私にできることは、今後も「彼女」と同じ轍を踏まないように、喩えどんなに急いでいたとしても、トイレの蓋の開閉はしっかりと確認してから便座に座ることである。







私は蓋を閉めて水を流してから、再び蓋を開け「マン拓」がババーーーンと見えないようにし、その個室を後にした。よく分からないが、それが「彼女」に対して私がしてあげられる精一杯のことだと思った。

その名に「芸術」を冠する施設の格の違いを思い知らされた一日であった。