読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

猫背を直したい

恥ずかしい

ペットの小動物をどう葬るかについて考える

ペットが死んで、さてその亡骸をどうするかと考えた時、おそらく日本人の大半がまず最初に思い付くのは土葬だと思う。


しかし、現代人、特に都会人の大半は庭がないマンションか、若しくは庭があってもコンクリ打ちで土が無い家に住んでおり、仮にペットが死んだとしても漫画でよく見かけるように土葬にしてやって「○○のはか」なんて書いた木札を刺して弔う、というのは中々難しい。喩え埋められるような環境だったとしても、そこが人口増加中の住宅地だったとしたら、せっかく埋めてやってもウン十年後に掘り返されて、上にでっかいマンションが建ってしまうかもしれない。或いは、もしもそこから私たち家族が引っ越してしまった後に、また別の家族がそこに越してきたとしたら、気軽に他人のご家庭のお庭に入って弔ったりすることなんてできないし、埋めた跡地がガーデニングか何かで掘り返されてペットの骨が赤の他人に発掘されてしまったとしたら…、なーんて考えると二の足を踏んでしまう。
それならば、と公園や山に埋めてしまうのは、そこが国有地であったとしても、「他人の土地にゴミを遺棄した」ということで法律的にはよろしくないようだ。
そもそも土葬は深く埋めてやらないとその辺の野性動物や野良猫に掘り返されてウンコになる。なんたら山脈辺りの鳥葬ならばまだロマンはあるが、その辺の野良猫のクソになってその辺の公園の砂場にひりだされ迷惑がられながらその辺のババアにゴミとして処分されてしまう野良猫葬は想像するだけで悲しくなってしまう。













○年間飼っていたペットの小動物が先日死んだ。
人間に換算すると100歳前後のようで、子こそいないもののその動物界では大往生だった。

私は人でも動物でも、「葬式」を残された人間の自己満足のようなものだと捉えている。
ペットが段々弱って死がチラホラと見え始めた時、もう体力的に遊べなくなってしまったペットの玩具を洗って終活しながら、死んだあとにどう弔うのが家族にとっても自分にとってもロスのショックが一番軽くなるかを考えた。

そこで冒頭に戻るわけなのである。
遠い昔小学生の頃、田んぼの横のドブで捕まえたフナが死んでしまった時は公園の草むらに埋めたのもあって、私は真っ先に土葬を考えた。
しかし上記のように色々と思考を巡らせた結果、少なくとも私が死ぬまで私のものでありつづけそうな土地を持っていなかったのでやめた。こっそり公園や山に埋めにいくのも、法律とかではなく、ペットが一回も行ったことのない土地に亡骸を埋めたとしたらペットの魂的な何かが迷ってしまいそうな気がしてやめた。完全にスピリチュアルの世界である (普段バカにしています。すみません) 。
某掲示板やヤフーアホ袋を覗いてみると、「小動物ならばプランターや植木鉢に埋めてそこに花を植える」という手法も挙げられていたが、そんなに微生物がいなさそうな植木鉢の中で亡骸が分解されるかは甚だ疑問である。しかも、植木鉢は土を定期的に入れ換えないと痩せてしまうのに、入れ換える時に土を掘り起こした時、まだ分解されていないミイラのようなペットが出てきた日にはトラウマものである。実際、「掘り起こしてみたらミイラになったペットが出てきた」なんて体験談も散見された。地獄である。



土葬がダメなら次に日本人が思い付くのは火葬だ。その他にも、川や海に流したり池や湖に沈めたりするとか、恭しく包んで生ゴミとか、剥製にするとか、食べるとか、瞬間的に却下される手法を色々と思い付いたが、結局火葬にいきついた。

さて、そうと決まればお次の悩みは火葬した後のお骨はどうするか、ということである。
・自分と同じ墓に入れる
多分寺と家族が断るし無理。そこまでしなくても…と、悲しみでスピリチュアルに溢れていた私でも思う。
・海か何かに散骨
水辺に生息する動物じゃないし海と縁もゆかりも無い動物なので意味不明。きれいな海が近くにない。廃棄物不法投棄。
石英と混ぜてペンダントにするサービスを利用
流石にメンヘラっぽい。
・ペット霊園供養塔に納骨(有料の場合がほとんど)
ドケチな私のスピリチュアルな心は納骨料金平均約一万円と年間の共益費数千円に躊躇した。土に還らないし人類が滅亡したら骨壺の中で永遠にそのまま維持されそう。
◎ペット霊園の合同墓地に埋葬(骨を土葬、無料の場合がほとんど)
他の案を散々否定した結果、これに決めた。田舎のマンションが建ちそうに無いところならば、少なくとも近い将来悲しい気持ちにならないし、土に還ってくれれば喩え人類が滅亡しても自然のサイクルに組み込まれてくれるだろう。
そのまま土葬するより焼いてから土葬した方が早めに土に還るだろうし、魂的な何かが虹の橋に昇華されいつしか私が死んで焼かれた時にまた再開し一緒に遊べるはずだ…(スピリチュアル)


さて、火葬と一口に言っても、動物のサイズによって料金が違う。更に、他のペットと合同で燃やすか、一匹だけ個別で燃やすかによっても料金が違うようだ。
骨を返すか返さないかで料金が違ってくるところもあるようで、大体同じサイズで火葬後の流れもほぼ同じ人間の火葬ではあまり感じることがない、手間はタダではないというビジネスの原則をペット火葬業界でリアルに感じることができた。
少々お高くなるが、大きな犬猫と一緒に燃やされてしまったらケシズミになりそうなサイズの小動物のペットであったため、個別の火葬を選ぶと決めた。


ペットの火葬業は、寺がやっているものから民間がやっているものまで調べるとわんさか出てくる。
ご丁寧にクチコミサイトまであるので、近くてクチコミも感謝の言葉が並んでいてまぁまぁその業を長く続けていて仮に倒産か何かで潰れてしまってもそこにはマンション的なものは建たなそうな場所を探した。それに当てはまりそうな候補をいくつか調べておき、火葬炉が順番待ちで何日か待たされそうになった時、別のところに乗り換えられるようにしておいた。








それから程なくして、ある日の早朝にペットは死んだ。
それまでの何日間かはとても弱々しく、一日の大半は眠り、たまにエサをポツリポツリと食べたり目を細めてじっとしたりしていたのに、死んだ日の前日には、どんなに体調が悪くてもさわらせてくれなかった頭をカキカキさせてくれて、その夜は以前の元気だった頃のように目をパッチリと開け、エサをガツガツと食べ、水をガブガブと飲み、カゴの中を活発に歩き回り、果てにはカゴをこじ開けて出たがり、カゴの入り口を開けてやるとどこにそんな体力があったのかすごい勢いでカゴから飛び出して飼い主の手に乗りたがった。
何時間かその調子で、22時を過ぎた頃にようやく、今治タオルとカイロで作った小さなベッドへ、まるで遊び疲れて電池が切れた子供のようにフラフラと倒れこみ、やっと寝た。
先程の元気さは最期の力を振り絞ったものなのだろうと察しつつ、翌日またもう一度元気な姿を見せてくれることを祈って私も床につく。夜中に一度目が覚めてしまったのでカゴを覗いてみたが、まだ同じ体勢で呼吸していたのでとりあえず安心して二度寝した。

翌日はロングスリーパーの私にしては早起きして、カゴを覗く。息はしているが、ぐったりとしており、昨日と比べて呼吸音がおかしい。
何度か名前を呼び掛けると、目を見開いてこちらを捉え、私の方に近寄ろうとしてくれた。しかし、身体も足ももう満足に動かすことができないようで、首だけを普段ではあり得ない方向に反り返らせ、痙攣しているかのような動きをする。
あ、これはもう死ぬな、と私は理解したので、カゴから連れ出し手で包んでやる。
落ち着いたのか目を閉じ、変な呼吸音のまま暫くぐったりしていたが、今度は呼んでいないのにまた無理矢理起き上がろうとする。もう足は固まり、腕も伸ばせないのに、視線だけはひたすら私を捉えてくれる。
そんなペットを前にして、私は何度も狂ったように名前を呼びかけて応援してみたが、私がふと気を抜いた瞬間にグーッと伸びをしてそのまま呼吸が止まった。

ペットごときで仕事を休むことが中々許されない日本の社会人の私が看取ることができたのは、とても幸福なことなのかもしれない。






翌日は休めない。
泣き濡れながら、 用意していた赤福の小ぶりな菓子箱にさらしを敷いて、小さなペットの亡骸を寝かせた。毛で身体が隠れてはいるものの、とてもガリガリになっていた。小さな紙の棺桶に、庭で摘んだ花と大好きだったエサも一緒にいれてやった。
頭の中がぐちゃぐちゃのまま涙を堪え、第一候補のペット葬儀社に連絡する。
そこの業者のクチコミには全ての人が「優しかった」と書き込んでいた通り、キチガイみたいに支離滅裂な私にも、とてもとても優しく接してくれた。ペットのことを「○○ちゃん」とか「お子さま」とか呼称してくれた時は、ちょっと笑いそうになった。

火葬にかかる時間は1時間ぐらいとのことで、休日であるその日はもう昼前か夕方の1時間しか予約があいていなかった。
犬猫をメインにやっているところで、平均1匹3万円ぐらい、休日は10匹燃やすとなると、土日で60万円か~、なんてゲスい計算を一瞬で済ませる。

そんなこんなで火葬の予約を取り付け、お通夜ならぬお通朝の時間を過ごした。




予約したペット霊園にたどり着くと、業者の方が優しく出迎えてくれた。
最期のお別れをするプレハブ小屋に作ったDIY感溢れる祭壇を見たときはフフッと思わず笑みが零れてしまったが、安物感ではなく温かみを感じたので良しとした。

小動物は燃やすと骨がちりぢりになるそうで、全てのお骨を集められるよう、仏教っぽい布がかけられたステンレスの皿に亡骸を乗せるように指示される。
線香をあげてやり、最期のお別れタイムだ。線香なんてペットにとっては意味不明だろうなあ~なんて思いながら手を合わせた。

火葬炉は備え付けの物ではなく、火葬車だった。
外見はエロ漫画のレイプに用いられるタイプの車種だが、天井からニョッキリと低い煙突のようなものが飛び出していた。
火葬用の網の上にステンレス皿にかけられているのと同じ仏教っぽい布が敷かれ、その上にステンレスの皿が配置される。更に、その回りに花やエサを並べるよう指示される。花等を皿の中に置いてしまうと、小動物の骨なのか花の燃えカスなのか分からなくなってしまうらしい。長年の火葬で得たノウハウなのだろう。
網は丁寧に炉の中に収納され、炉が稼働する。20分で焼き上がるらしい。人間と比べて早い。

待ち時間は、これまた別の待ち合い室用プレハブ小屋に誘われる。
子犬カタログとか子猫カタログとか置いてあったけど、犬猫の飼い主はそんなものを見る心境になれなさそうだ。

そんなこんなであっという間に20分が経過し、先程最期のお別れをした祭壇の前に移動してしばし待っていると、お骨が恭しく運ばれてきた。
ツメとか頭蓋骨とか、人間のお骨と比べて、意外と形が残っていた。早速、用意されたペット用の小さな骨壺へお骨を拾う。しかしやはり焼かれた小動物の骨は小さくもろすぎて、二人協力してお骨を拾うことはできなかったので、魚の小骨をつまむようにひょいひょいと一人で骨壺に骨を収納していった。
霊園の方は、これは背骨です、とか、これは太ももの骨です、とか、人間のお骨拾いの時のように簡単にどこの骨なのかを説明してくれて、ここでもなんだかハートフルな気持ちになってしまった。






火葬が終わって、家に私一人と遺骨一匹が帰ってきた。ここで人間なら「おじいちゃん、こんなに小さくなって…」という台詞が零れ落ちるところであるが、一番小さな直径3寸の骨壺よりも更に小さなペットだったので、「○○、こんなに大きくなって…」という台詞が思わず心に浮かんでしまった。

とりあえず仏壇には米と水と花だろう、ということで骨壺を棚に鎮座させ、主食と水とペットが口にしていた野菜を備えてみる。
そうなるとやっぱり日本人の本能的に、仏壇には線香が欲しくなる。なにも考えられないが、とりあえず近隣店舗の中で香立てが確実に売ってそうな百均にフラフラと向かい購入した。

帰宅して、ここのところ人間の方の仏壇に線香をあげていない先祖不幸者であったことを思い出す。畜生にあげてご先祖様にあげないとは何事か、と昔の人々には怒られてしまいそうなので、久々に線香を焚いてみた。

それから、先程購入した本来ならばアロマ用の香立てをペットのお骨の前に設置して、線香なんて、ペットには絶対理解できない行為だろう、などと先程と全く同じようなことを考えながら、私は半分私のために線香をあげてやった。